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薬剤師の歴史


薬剤師の歴史 

日本での薬剤師の歴史は、1889年の「薬品営業並薬品取扱規則(薬律)」成立をもって、日本の薬剤師が誕生したとすると、薬剤師としての活躍の歴史は100年あまり。ヨーロッパの薬剤師と比べてはるかに短い。

薬店の始まり

薬の歴史は古代からさまざまな人々がかかわってきた。医師、僧侶、祈とう師、占い師、魔術師、偽薬で治療を行う療法士、民間薬製造者などだ。薬の処方は、古代メソポタミアの粘土板に植物性50種類以上、動物性180種類以上、鉱物性120種類以上が書かれていた。アラビアでは9世紀前半、薬の専門家として薬剤師の独立した地位が認められ、独立した店(薬店)を開設した。1016年にローマ、1022年にモンテ・カシノ、1172年にベニスに薬局が生まれた。

薬剤師の始まり

薬剤師の歴史は、1240年 シチリア島の皇帝フリードリッヒ2世が、薬事に関する2つの法律「医薬分業」と「薬事監視」を定めたことから始まる。これは暗殺を恐れたフリードリッヒ2世が、処方箋を医師に書かせ、薬は医師の知らない薬剤師に調剤させて毒薬が紛れ込んでいないかをチェックするためだ。これは医師の処方権と薬剤師の調剤権を切り離す、「医薬分業」の起源だとされている。「医薬分業」では、医師が患者を診察する→薬が必要だと判断した場合、医師は処方せんを書く→薬剤師は処方せんに基づいて薬を調剤する、という流れになっている。現在は、ヨーロッパ、アメリカ、韓国などのほとんどの国で、薬の量や薬と薬との飲み合わせの確認などを行う「医薬分業」として定着している。

医薬分業の試行(日本)

日本では明治以前まで、漢方医学とオランダ医学による「医薬兼業」の形をとっていたので、医薬分業の思想がなかった。医薬分業が取り入れられたのは、1870年、ドイツ医学が導入されたことによる。当時ヨーロッパから輸入された薬は、悪徳商人の手によって、偽薬や薄められた薬に変容していたのが普通だったという。また医師の薬礼(医師の診察料)は高すぎて、庶民はそうそう医師にかかれなかったようだ。そこで明治政府は、ヨーロッパ同様に、薬を専門に扱う薬剤師に薬のことを任せると、薬の品質が向上し、価格も安くなると考えたのだろう。

薬剤師の始まり(日本)

日本での薬剤師の歴史は1874年に明治政府は医制(医師、薬剤師の教育・免許制度)を制定したことから始まる。今でいう医師法、医療法の根源となるものだ。医制の中には、「医師たる者は、自ら薬をひさぐ(売る)ことを禁ず」として、ドイツ医学を取り入れて医薬分業を推進しようとした。同時に薬舗主(のちの薬剤師)には、仮免許を与え、試験の合格で免状を公布した。

薬局の始まり(日本)

1889年、「薬品営業並薬品取扱規則(薬律)」が成立。薬舗を薬局、薬舗主を薬剤師と改称し、薬剤師制度や薬局制度を規定した。しかし古くから医師の調剤が慣例となっていたことや、薬局・薬剤師の数が需要に追いつかないなどの実態から、薬律の附則で医師の自己調剤が認められて薬局での調剤は進展しなかった。

医薬分業の始まり(日本)

その後「医師法」「歯科医師法」「薬剤師法」「薬事法」が制定された。1951年、「医師法、歯科医師法および薬事法の一部を改正する法律」が制定されて医師の処方せん発行を原則として義務づけられた。そして1974年、診療報酬改定で、処方せん料が100円から500円に引き上げられた。これにより医療機関が院外処方せんの発行に動き出した(医薬分業の元年)。